平均有病期間
最近、疫学の専門概念の復習や用語の整理をしている所です。
その流れで、NATROMさんの、以下のエントリーを再読しました。
結構前の記事です。この記事は、福島県の小児において甲状腺がんの多発は起こっているかという議論に関連するものです。ここで私が書くのは、どちらかと言うと、この議論を知っている方向けの話ですので、詳しい説明は省きます。
さて、この議論の中では、平均有病期間(D)なる概念の設定と解釈が鍵になっています。それをどう考えるかで、結果的な解釈がだいぶん変わってきます。
甲状腺がんの流行(通常時より明らかに多く発生する事をこう表現します)を主張する津田氏は、これを
平均有病期間とは、病気があると分かってから病気が治るまで、あるいは死亡するまでの期間のことです。
こう説明します。
出典:http://www.kinyobi.co.jp/blog/wp-content/uploads/2013/03/fefc48e1bcaef4b4191bb12c61f176731.pdf【PDF】
そして津田氏は、自身の見た胃がんの例から、それを 7 年と仮定しました。
それに対し、片瀬さんは、成人のデータから計算して平均有病期間を導いて、それを津田氏よりも遥かに長く見積もりました。そしてNATROMさんは、そもそも平均有病期間という概念を津田氏の定義のまま用い、それを小児の例に当てはめて良いのか、という疑問を投げかけ、潜在期間という概念を設定します。(定義:癌がスクリーニング検査で検出可能な大きさになってから臨床的な症状を引き起こすまでの期間
)
片瀬さんは、罹患率の所にリスクを置いているので、その時点で間違っていると思いますが、それはそれとして、NATROMさんのエントリーを読んだ当時、私は、この概念はどのように定義して考えたものかな、と思ったのを憶えています。
それで、最近疫学の復習をしていて、この概念が関わる所が出てきたので、改めてNATROMさんの記事を読み、平均有病期間という概念が記述されたテキストは無いものかな、と探してみました。
まず、津田氏が参照している、ロスマンの本からです。参考文献は↓
- 作者: KennethJ. Rothman,矢野栄二,橋本英樹,大脇和浩
- 出版社/メーカー: 篠原出版新社
- 発売日: 2013/10
- メディア: 単行本
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ここには、津田氏の紹介した平均有病期間と、有病割合を求める近似式、が出てきます。
まず平均有病期間ですが、ロスマンではこれは、平均罹病期間と紹介されています(P 83)。それで、その概念の定義は、書いてありません。罹病期間の長い病気や短い病気の例示はありますが、少なくとも付近には、その正確な定義は記されていないようです。
次に、有病割合と発生率(罹患率)との関係式です。そのままだとアルファベットで直観的に把握しにくいので、日本語に直して書きます(P 83 参照)。
有病割合 / (1 - 有病割合) = 発生率 * 平均有病期間 ※「*」は乗算記号
ここで左辺は、有病の割合を有病で無い割合で割ったものです。確率統計では、起こる確率と起こらない確率との比の事を、オッズと呼びます。そして、有病割合が小さければ、左辺の分母は 1 に近づき、結果、左辺(有病割合オッズ)自体が 1 有病割合2017年5月7日追記:コメントの指摘により修正に近づきますから、
有病割合 ≒ 発生率 * 平均有病期間
こう表せます。これが、今の議論で出てくる式の成り立ちです。
ところでロスマンは、同じページに、
この関係性は年齢別有病率に対しては当てはまらないことに注意しよう.その場合は,平均罹病期間(引用者註:原文では D の上にバー)は病気の全罹病期間というよりは,その年齢階級で費やされた罹病期間に当たる.
とも書いています。
次に、↓の本からです。
- 作者: William Anton Oleckno,柳川洋,萱場一則
- 出版社/メーカー: 南山堂
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
- クリック: 28回
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この本でも、ロスマンと同じ関係式が紹介されています。ただしこの本では、点有病割合から罹患率を推定する式という紹介です。従って式は、
罹患率 = 有病割合 / (平均有病期間 * (1 - 有病割合))
こうです(P 71 を参照。※用語は、参考文献に従う場合もあります。ロスマンでは発生率であるものがこちらでは罹患率である、等)。罹患率は、有病割合オッズを平均有病期間で割ったもので、有病割合が小さければ、有病割合を平均有病期間で割ったもので近似出来る、という寸法。
さて、こちらでは、平均有病期間の定義が書いてあります。(P 71)
D = その疾患の診断時から回復,もしくは死亡までの平均期間である.
こうです。この定義は、その疾患の診断時からの
とありますので、津田氏が用いているものと同等です。その後では例示として、その疾患の診断から消退までの平均期間が 3 年としよう.
という文もあります。
続いて、↓の本からです(※私が参照したのは第 4 版)。
- 作者: 福富和夫,橋本修二
- 出版社/メーカー: 南山堂
- 発売日: 2014/03
- メディア: 単行本
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この本ではまず、延傷病者数という概念が説明されます。その定義は、各傷病者の罹病期間,すなわち,発病から治癒までの期間を合計したものである.
となっています(P 41)。ここで期間の始まりは、診断時では無くて発病時です。ただこの本では、発病という語の定義はありません。これは、感染症や がん でも異なるかも知れませんし、医学的定義と保険分野での定義でも異なってくるものかも知れません。調べた限りでは、がんの発病の定義は出てこなかったので、詳しい方がおられればご教示願います。
そしてこの後には、平均罹病期間が紹介されます。ロスマンと同じ語です。定義は、
平均罹病期間 = 延傷病者数 / 罹患数
こうです(P 42)。つまり、観察した対象の発病から治癒までの期間を合計したもの
を罹患した数で割ったもの、です。ここで、分子の単位は人時で分母は人なので、結局平均罹病期間というのは、一人あたりの罹病期間、となりますね。
それで、この発病からというのをどう考えるか、ですが、これも、どうもはっきりとした定義は解りません。ただ、診断時を発病時とするという事には違和感がありますが、どうでしょう。
もし、発病時を診断時と同一と看做すならば、津田氏や、『しっかり学ぶ 基礎からの疫学』の定義と同じになります。発病を、NATROMさんのように、検診によって判別出来るまで大きくなる時、とすれば、平均有病期間(平均罹病期間)が指す概念は、NATROMさんの言う 潜在期間 + 津田氏の言う 平均有病期間となるでしょう。
私の考えとしては、NATROMさんに賛同するものです。甲状腺がんのように、死ににくく、症状が出にくい疾患の場合に、症状が出て診断されてから消退するまでの期間を計算に用いて率を算出するのが妥当とは思えません。また、100 万人に 1 人というのも、観察対象と期間を決めて求められた罹患率では無く、症状が出て診断されたもののはずですから、それによって得られたものと、全数調査が企図されて得られた有病割合から推定された罹患率、とをそのまま比較すべきでも無い、と思います。NATROMさんが言われたように、罹患率そのものは、福島県の対象を追跡した結果、より正確な値が得られるものでしょうから。さらに、それで、より正確な罹患率が得られたとして、その値が、他地域と比較して顕著に大きいかを評価するのは、他地域における正確な罹患率を算出して、福島県のそれとの比(率比)を求める、というのが、より適切なやり方ですが、それはつまり、他地域での全数検診を行うのを意味します。その事は、莫大なコストがかかるのと、過剰診断発生の危険をも引き起こします。
このように、津田氏による平均有病期間という概念それ自体は、用い方には問題はありません。しかし、期間の最初をどのように定義するかは議論の余地がありますし、発病時というのを定義に含めるやり方もあり、NATROMさんがおこなった指摘は、尤もなものであったと思われます。