甲状腺がんなどに対する不安を感ずる事と、検診継続の是非

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※以下、引用文の強調は引用者による

東京電力福島第一原発事故後に甲状腺がんと診断された患者らを支援するNPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」は15日、患者や保護者計105人へのアンケート結果を公表した。がんの再発や妊娠、出産、就職への影響を心配する声が多く、国や県が積極的に支援に取り組む必要があると指摘した。
 健康状態については「普通」「良好」と答えた人が9割を超えた一方、半数以上の人が、がんの再発やほかの臓器への転移、妊娠や出産への影響といった不安をあげた。

甲状腺がんと診断された患者および保護者の105人に対しアンケートをおこなった所、上記引用文にあるような回答が得られた、という記事です。

アンケート結果によれば、半数以上の人が、がんの再発や転移への不安を懐いた、との事ですが、このような結果が出るのは、当然に推測出来るものです。
そもそも、福島における甲状腺がん検診は、被曝により甲状腺がんが流行しているのでは、という懸念があったから実施されたものです。そのような情況では、まず当該地域での総体的な不安の度合いが高まっていた、と考えられます。そこで検診が実施され、しかも甲状腺がんが見つかった(そう診断された)訳です。がんに再発や転移の起こる事は広く知られている所でしょうから、それを心配し不安を持つ事、そしてアンケートを採ればその心理が反映された結果になるだろう事は、ある意味当たり前です。

加えて、検診を進めよう(勧めよう)とする人は、事故後に何年経っても、甲状腺がんの流行を疑い、検診を受けなければ予後を悪くするというような主張をおこない続けています。自分たちで検診を受けない事の悪影響を吹聴して住民の不安を強化しておいて検診を促し、その結果で甲状腺がんが見つかった人に対しアンケートなどおこなっているのです。

事故の当時に県民だった患者や保護者70人に、今後の学校検査のあり方を「継続」「縮小」「拡大」の3択で聞くと、継続60人(86%)、拡大と縮小は、どちらも5人(7%)だった。

↑これも、それはそうなるだろう、という結果です。自分や近親者が受けた医療介入が有用なもので無かった、などと解釈するのは、当事者にとって難しいものです。自分たちが受けて甲状腺がんが見つかった、それによって命が救われたりQOLの下がりかたを抑えたり出来た、と認識していれば、他の罹患者にも同じような結果を辿って欲しいと考えて当然です。

「過剰診断」の恐れが指摘されることには、「過剰と言われるのは心外」「進行が遅いと言われたが、がんは数カ月で大きくなった」「手術が間違いだったかもしれない、という心理的負担を強く感じる」などの声が寄せられた。

↑疾病が見つかった当事者に対し、それは見つけても無意味なものだった(←過剰診断の定義よりそう言える)と突きつけるのです。なぜそんな事を言うのかと反応する、それはそうでしょう。しかし、だからと言って、甲状腺がん検診の有効性が認められていないのを指摘すべきで無い、とはなりません。それは、集団に医療介入をおこなった場合にどういう結果が起こるか、という所への評価であり、公衆衛生に関わる部分だからです。

ここで、重要な所を指摘します。記事(と言うかアンケート)では「過剰診断」の恐れが指摘されることにクローズアップされていますが、それと検診の有効性は異なる議論です。つまり、

有効性
検診を受ける事により、死亡やQOL低下という結果を抑える度合い
過剰診断
検診によって受ける害の一種

↑このようです。一般に検診の是非は、

有効性と害の程度を定量的に評価し比較する

事によって検討されるべきものです。

もし検診によって過剰診断されたとして、過剰診断された人はもちろん、がんが発見された事を有用な結果であったと信じたいものです。検診を実施した医療者もそう思いたいでしょう。通常、過剰診断であったと判明する、つまり、発見された病気による症状が出る前に別原因によって死ぬ結果に至る場合は少ないですから、検診の規模が大きくなり、過剰診断や、過剰診断では無いが予後を変えない発見が増えたとしたら、検診は有用であったと認識する人も増えます。ほんとうは検診が有用で無かったとしてもです。これを、人気に関する矛盾と言います(ラッフル、グレイ『スクリーニング 健診、その発端から展望まで』P68)。 検診は、それをしない場合に較べ予後を良くしない、しかし病気は見つかって処置される。そして見つかった病気への処置は予後を良くすると広く信じられている、などの条件があれば、有用で無い検診が有用であるかのように広まるという現象が起こるのです。

星座長は会合後の記者会見で、甲状腺検査の今後のあり方について問われ、「受けたい人が受けられる環境は続けなくてはいけない」と強調。一方、「データを集めるために検査を受けてもらう趣旨ではない」として、検査の対象者である子どもや若者らが検査を受けるかどうか、判断できる情報を今後も提供する考えを示した。

↑受けたい人が受けられる環境が重要なのは当たり前です。これは医療一般に通ずるものでしょう。介入を受けさせないのはパターナリズムです。 また、データを集めるためのものでは無い云々は、福島の甲状腺がん検診が倫理的な検討の不充分な疫学調査であるかのように受け取られたくないから触れたのだと推察されます。そして、判断できる情報を今後も提供するです。ここで問うべきは、

じゃあ判断できる情報とは何か

です。

星座長の発言で最初に、受けたい人が受けられる云々と書かれていますが、そもそも受けたいかどうかの判断を左右するのが、判断できる情報なるものです。たとえば、福島では甲状腺がんが流行している、検診を受けなければ予後が悪くなる、との情報が伝われば受けたい人は増えるでしょう。じゃあそうして増えた受けたい人がみんな受けられるようにすべきか。それ以前に、そう考えるに至ったきっかけとして得た情報は果たして適切だったのか。まずそう問うべきだし、検討委員会は真面目に議論すべきなのです。そこを有耶無耶にして、受けたい人が受けられる環境は続けなくてはいけないなどと言うべきではありません。

少なくとも、

  • 成人における甲状腺がん検診の有効性について、それが得られないであろう間接的証拠がある
  • 若年者における甲状腺がん検診が有効であるのを示す証拠は無い
  • 成人より罹患率が小さい若年者であれば、有効性が得られるとしても小さい
  • 成人において、高い割合で過剰診断が生ずる間接的な証拠がある
  • 若年者における過剰診断の推定はあるが、成人における推定のような証拠は今の所は無い

↑これらの事はしっかりと伝えるべきです(たとえば、USPSTFによる声明を参照⇒Recommendation: Thyroid Cancer: Screening | United States Preventive Services Taskforce)。 当たり前ですが、そのプロセスにおいては、検診の有効性とは何かといった所から説明する必要があります。そして、それを理解するのは簡単ではありません。簡単ではありませんがしかし、伝えない訳にはいきません。広い規模の集団に医療介入しようとしているのですから、その介入はどのような意義を期待しておこなわれるか、という所を説明すべきなのです。対象は若年者ですから、保護者に対するインフォームド・コンセントだけでは無く、検査を受ける当事者へのインフォームド・アセントに当たる所も考慮すべきでしょう。それらをするのが、判断できる情報を今後も提供する事に繋がります。